翌日観光開始。この日は金曜日。金曜日の日没から土曜日の日没まではユダヤ教徒の安息日にあたり、彼らは祈りに徹する。
そのため写真撮影は一切不可能らしい。急いで観光せねば。リミットは午後3時ごろまでのようだ。
イスラエルの国情報と感想はこちらから!
http://www.world-moment.com/kunibetsu/middle-east.html#jer
エルサレム旧市街は15メートルほどの塀に囲まれており、上から旧市街を見ると直径2〜3キロの円になっている。出入り口は8箇所。そのうち1つの門から入り一路ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を目指す。

嘆きの壁周辺はもう異様。不思議すぎる。
詳しくはフォトギャラリー参照なのですが、黒装束に後頭部は刈上げモミアゲだけ伸ばしてこれまた黒い帽子をかぶったユダヤ教徒の男性が壁に向かってお辞儀を繰り返しながら旧約聖書をひたすら読み上げている。その数ざっと200人はくだらない。


しかも、ここに来るまでは「まぁ、ユダヤ教徒って言ってもこんな格好しているのは一部だろうなぁ」と思っていたけど、そんなことはなく・・・・・うーん。街行く日本人が皆着物を着ている感じです。異様過ぎる。
皆さん、機会があれば是非ここに来てみてください。宗教とは何か、考えさせられます。
嘆きの壁って言うのは2000年前ローマにこの街が征服されるまでこの壁の向こうにユダヤの神殿が建っていた場所なんです。時間を越えて彼らは今でもその神殿があるかのごとく祈っています。神殿がないことに対して嘆いている、そう見えるから「嘆きの壁」。こんな強烈な信仰心を目の当たりにしたことはないので、かなりの戸惑いがありました。そもそも2000年ってどれくらいの時間なんだろう・・・・・・・・。
この旧市街の中がユダヤ人だけで埋められているのかというと、そんなことはなく、イスラム教徒、アルメニアン・キリスト教徒、カトリック、ユダヤ教徒とちょうど旧市街を4分割するように居住区が分けられています。夜、ユダヤの安息日が始まってから嘆きの壁を見に行ったのですが、壁の前で祈る彼らの姿ももちろん凄まじいものがあったけど・・・それより、イスラム教徒居住区を歩いてゆくユダヤ人の緊張感と、それを見て見ぬ振りをするイスラム教徒の緊張感がひしひしと感じられる。要所要所に配置されている兵士は常に銃の引き金に指を当てていて、何かあったときには発砲できる態勢をとっている。どんなところやねん・・・・・。
この翌日はイエス・キリストが殉教したところに建っている教会へ。キリストが死んだ場所とされる石版には頭をこすり付けるように祈る人々が。これも凄まじい光景。

なんやろうね。こんなところがあるんやね。
かつてアラブに支配されていたエルサレムを奪回するためにヨーロッパから十字軍が送られ多くの血が流されたらしい。でも、そんなのはほんの一面に過ぎず、いくつかの宗教にとっての聖地エルサレムは聖地であるがゆえに血塗られた歴史があり、また日本人のおいらには到底理解できない信仰心があった。
ここまで異様やと、言葉も出んね。表現が悪いかも知れんが一言で言い表せば「新興宗教の山奥の儀式に紛れ込んでしまったみたい」な場所。
エルサレムのホテル情報
ファイサルFaisal Hostel ドミトリー(12人部屋)一人35NIS(約1,200円) 東エルサレムの一角にありダマスカス門からは徒歩数分。キッチンが使える。清潔度はそれなり。無線LANがフリーなので便利。情報ノートあり。日本人が数人は泊まっているので情報交換によい。