2008年12月12日

バナーラス、インド(この街での過ごし方) by Hiroki

ここバナーラスのこの時期の気温は概ね20〜25℃といったところ。一番過ごしやすい温度やね。学生時代は2月か3月に来ることが多かったのでもっともっと暑かった。5月になると死ぬほど暑いんやろうなぁ。
ただ気温はこの時期過ごしやすいとはいっても、大気汚染が酷い。晴れてるにもかかわらず空は何だかどんよりして見えるし、一日外を歩き回った後に鼻をかむと黒い鼻くそがティッシュにつく。これまで旅してきた中ではもっとも空気が汚いんじゃなかろうか。

前回のブログでもったいぶって「バナーラスで私たちがどんな生活を送っていたかはまた次回」なんて書いたもののですねぇ、正直今何を書いていいのか困ってます。
朝起きて飯を食ってガンジス川を眺めて飯を食って洗濯して寝るという(忙しく働いている人からすると殺してやりたくなるような)生活を送っていただけと言えば、それだけなのです。まぁでも暇を感じる暇も無く、なんやかんや起こるし、次の移動の手配やらネパールビザ取得のためにドルを手に入れたりとか、まぁまぁそこそこ忙しくはしていたんですがね。
と言うわけで、今回は「ガンジス川でワシも考えた」編と「値段交渉で逆切れされる」編の2つをご紹介しようかな。

ヒンドゥ教徒は死んだ後ガンジス川に遺灰を流されることを幸福の極みとしているということは前回も書いたんですが、実際に遺体を焼いている現場を見てきました。
不謹慎だと思われる方も多いかと思います。まぁ確かに不謹慎だな。でもインド人もぼーっとその現場を見ている。訳分からん奴がよって来て勝手に説明した挙句「薪代よこせ」なんていってきたりもする。なんだかやっぱりここもバナーラス。どこで誰が何をやってようとあんまり関係ないのかもしれない。
インド人になったことが無いのでわからんが、インド人は「死」特に「人の死」と言うものに対して特別な感情を抱いていないんじゃないだろうかとも思う。「人が死ぬなんて当然じゃん。人なんかいつかは当然死ぬもんだよ。人の死なんて珍しいもんじゃなかろう。」なんてのがインド人の感覚かなぁ。もしかしたらそんな感覚すらなくて当然のこととして無意識のうちに受け入れてるのかもしれないなぁとも思う。
その辺の道端に死体があったことだってある。その時、誰も見向きもしなかった。ガンジス川にはよく死体が流れてくる。普通のことだ。
そんな世界だと遺体を焼いている現場をボーっと眺めるっていうのは不謹慎でも何でも無いのかもしれない。でもまぁおいらは日本人。5つ6つと遺体を焼く薪塚が燃え上がっている現場をながめていると、なんだろなぁ・・・無理にでも特別な感情を引っ張りださなくちゃいけないんじゃないかとも思ってしまう。でも特に何の感情も沸いて来ない。旅が長くなりすぎたのかなぁ・・・・。そんな自分に罪悪感を感じる。罪悪感?何に対して??やっぱり俺は日本人だと思う。
ガンジス川の畔で遺体を焼く炎を眺めながら俺は日本人なんだなぁと言うことを深く認識する。なんだか文章にすると支離滅裂な感じがするけどもそういうことなんだから仕方が無い。
そんなことを考えている間にもまた遺体が火葬場に運ばれてきた。

別の日ガンジス川の畔で座り込んで川を眺めていると一人の少女がよってきた。何だか見覚えのある顔だ。ヨメさんが「このまえポストカードを売ってた子だ」と気付く。
そう言われれば確かに。でもつい2日前とは顔つきが違う。今は無邪気な少女の顔つきだ。この前は真剣な商人の眼差しだった。10歳位だろうか。無邪気な少女のほうの彼女にも出会えてよかった。そうでなかったら真剣に働いている子供たちと凧揚げなんかをしている無邪気な子供たちとまったく別の経済状態の家の子だと勘違いしてしまっていたかもしれない。ある時は働きある時は無邪気に遊ぶ。オンとオフの二面性を備えたいっぱしの社会人やね。いずれにしても経済状態は厳しかろうが頑張れよ。最後に「フィル・ミレンゲ(じゃあね)」というと彼女は日本語で「ありがとね」といって笑った。

最後に値段交渉の一幕。
ラム酒を買いに街中のワインショップへ。インドでは酒屋のことをワインショップという。
そこで酒を手に取り「これいくらだ?」と聞くと「150ルピー」という答え。
ふざけるんじゃない「ここに120ルピー書いてあるじゃないか」
「その値札は古い。今は150ルピーだ」
とそこに別のお客。なんか似たような酒(ちょっとちっちゃいボトル)を買っていた。その客に、
「それいくら?」ときくと
「60ルピーだ」ここにそう書いてあるじゃないかというように値札を指差しながら。
おいおいふざけるんじゃない。値札に120ルピーって書いてあるんだから120ルピーで売れよ。
というわけで「分かった150ルピーで買うからレシートをくれ。レシートが出せないんだったらこの紙に150ルピーで売りましたという記述とお前のサインを書け」というと・・・
店主断固拒否。なんでやねん。
「なんで拒否る必要があんねん。いいから書けや」とごねること数分。
店主が逆切れ。
「お前には売らん!」
「別にお前のところから買わんでもいいもんね〜。」
というわけでとぼとぼ別の酒屋まで歩いていきそこで買いました。その酒屋は定価でした。
というか30ルピーは約60円。60円のために15分ほど押し問答。まぁこの国では30ルピーは600円くらいの価値を発揮しますが・・・・・・・。

とまぁこんな生活を送ってたわけです。・・・・・どんな生活やねん。

バラナシ滞在中の一日を利用して仏教遺跡の残るサールナートにも言って来ましたが、その話はまた次回。
11月14日にはネパールのポカラに到着予定です。バナーラスには結局6日もいたけど移動しまーす。

↓ガンジス川の畔で毎日日没後に行われるブージャー(祈りの儀式)
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↓ヨメさんもヘナに挑戦。
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posted by HOSHINO at 18:00| Comment(2) | 26 インド India
この記事へのコメント
お元気そうですね。
何よりです。
やっぱり、異国って感じがします。
自分が日本人だと、確認出来ますね。
おおらかであり、シビアな国です。
実際は皆、一生懸命生きているんでしょうけど。

お体に気を付けて、旅を続けて下さい。

Posted by くみ at 2008年12月17日 20:30
こんにちは。
現在ネパールのポカラまで来ました。
インドの旅行はハードですが今のところ二人とも元気です。
インドの人たちの生きるパワーはとても強くて私ももっと必死にならなきゃなぁとか考えてしまいます。
残りの旅も気を抜かずに行こうと思います。
Posted by Yoko@ポカラ、ネパール at 2008年12月19日 19:44
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