その前に、昨日8月1日は全国各地で花火大会だったようですが、私たちの住む町でも花火大会があり、2年ぶりに花火を楽しみました。規模はそれほど大きくないのですが、会場がとても近いので少しだけ早めに江戸川沿いの土手に着いて鑑賞することに。星や渦、ハート形の花火がとても印象的でした。

リマで何をしていたかというと・・歯医者にかかっていた。実は、キトのアジアンレストランでもらったキャラメルで私のさし歯が取れてしまい、リマでは歯医者に行くことを決めていた。というのもペルーは日本人移民が多く住んでおり、特に首都のリマなら日系の歯医者さんがいることが期待されたから。そこで大使館へ行って紹介してもらおうと思ったわけで、後にも先にもこういう事でお世話になったのはここだけだったな。
その話はリアルタイムのブログでどうぞ。(2008/6/16)
http://world-moment.sblo.jp/article/16389881.html
ペルーに入国してからというもの日本人に対する態度が一変したように思う。エクアドルでは東洋人を見るなり「チナ、チナ(中国人)」と言われ。その言い方があまり好意的な感じではなかったのだけど、ペルーに入った瞬間、チナとは言われなくなる。ま、そのせいで国境でフジモリ大統領の話なんかをされ、怪しげな人たちに囲まれたりもしたんだけど。
でも移民が多いこともあって好意的な人もけっこういて、居心地がいい国であることは間違いない。
これはラルコマルという商業施設。マリオットホテルの近くにあるんだけど、日本にある大型ショッピングモールのようなもの。ここでチェーンの中華料理があったので食事にはまあまあ困らなかった。

夜もけっこう遅くまで解放されていて、夜景がロマンチック。

この海沿いに歩いて行くとラブラブの恋人像がある恋人公園がある。

旧市街へはタクシーを使わないと行けない距離にあり、広場までは少し歩いてタクシーを拾う。
カテドラル周辺は警備も厳重。でも、ちゃんと警察や軍隊が出ているとこちらとしては安心できる。

これはどこの教会だかもう忘れてしまったけど・・ステンドグラスもけっこう立派。やっぱり首都は違うねーと思った。

大使館へ行くついでに日秘文化会館へも立ち寄った。
写真も何も残ってないけど、ここでみた移民の歴史は衝撃的なものだった。
ペルー各地に移民が移住させられたのだが、その表が興味を惹くものだった。
確かこんな項目で各地の人数が紹介されていて・・
移民数180
現存数5
死亡数70
脱走数105
お気づきになるだろうか。細かいことは覚えていないけれど、こんな数字だったと思う。(あくまでも正確な数字ではありません)過酷な環境、特にアマゾン地域の脱走数が多かった。
アマゾンの熱帯雨林の中、たった一人で天然ゴムの採集を行っていた人の手記も公開されていた。
虫はもちろん何だかわからない動物やらの中で孤独な作業。想像を絶するものだったんじゃないかと怖くなった。
官には官の言い分があり、民には民の言い分があるだろうけれど、南米に今生きている日本人が相当な苦労をしたことは確かなんじゃないかと思う。
出発前に中南米のことを知ろうと探していたら見つけた一冊がこちら。
移民での現地取材を元に小説化した「ワイルド・ソウル」とその取材のエピソード「ラティーノ・ラティーノ」。どちらも垣根涼介さんの本。とても読み応えがあったので中南米に興味のある方は是非!二人のお勧めの一冊。

リマのホテル情報
Hotel Larco
ダブル 50ソル(通常料金55ソル、約1,950円)
温水シャワー・トイレ、テレビ付き。道路側の明るい部屋をキープできたのでまぁまぁの居心地。一番の利点はラルコ・マルに近く治安がいいこと。1階にあるインターネットの兄さんが日本語フォントを読めるようにしてくれ(入力は×)、ニュースやメールのチェックのみ可能。ラルコ・マルのタクシー乗り場からタクシーを使うと相場の倍以上の料金を言われる。目の前が高級ホテルマリオットだからに違いない。
今だから言えるけど。
滞在中のある日このホテルに戻ってくるとホテルの前に消防車と人だかりが!!上を見上げると、私たちの隣の部屋の窓があいていて(5階)白人男性が何か叫んでいた。そしてなんと道端には大量の血の跡が・・・。手首を切って血を流しながら叫んでいたらしい。しばらく上の階に上がることを止められ、ロビーで待機することに30分くらい経った後だろうか、その狂人を残して警察やら消防団やらは皆去って行った。この日の晩0時過ぎまで隣人は何か叫び続けていたので、こちらもドアに鍵をかけ、すぐに開けられないよう思い椅子やテーブルで塞いでしのいだ。ドアにそいつの血の跡とか残ってて本当に怖かったんだからー!!
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Yoko Hoshino