
これがセロ・リコ(Cerro Rico)豊かな山というスペイン語の名前を持つポトシ銀山。スペイン統治時代に見つかった銀山で一時は世界の銀の3分の1も生産していたとか。今では亜鉛とか鈴が少し採れるくらいだとポトシ高山ツアーのガイドが言っていた。
ツアーへ行く途中、ぼろぼろの作業服に着替えて、労働者たちへのお土産を買って(コーラとか98%くらいのアルコールとか、おばちゃんの手元に見えるコカの葉とか・・コカの葉は労働者の人たちがが空腹や疲労を紛らわすために口に含む。)山へ向かう。次々に有無を言わさずことが流れるのでそれもけっこう驚きというか。なんかとても印象に残っている。

こんな様相でツアーに参加。

ポトシ銀山のはじまりや現状なんかをガイドが説明してくれいざ中へ。
ここは入口なんだけど、壁に見える血痕は生贄のリャマの血だというから・・・もう私たちのいる現実とはかけ離れた現実を感じずにはいられない。

中には鉱石を運ぶためのレールがひかれており、ところどころにぎりぎり一人分横によけることのできるスペースがあるのみ。真っ暗で細かい鉱石の粉じんが舞っておりとても長時間滞在したい場所ではなかった。

鉱山で働く人々。13-4歳くらいから仕事を始め、だいたい50歳くらいまでしか生きられない。60歳以上まで生きる人はほとんどいない。退職後の医療などは保障されているということだが。薄給なのはエルネスト・チェ・ゲバラ氏が潜伏していたころから改善していないのではないだろうか。余談だが、この前見たDVD「チェ39歳の別れの手紙」の最初のシーンは同じくボリビアの鉱山シグロ・ベインテで働く労働者の写真。久しぶりにポトシ銀山での経験を思い出してしまった。鉱山内で見学させてもらったお礼に彼らに買ってきたお土産を渡すと「グラシアス!」と笑顔で言いとても喜んでくれた姿が忘れられない。一介の旅人である私たちにはどうすることもできないのだが、複雑な気持ちになった。
鉱山のツアーは1時間以上続いて細い行路を転ばないように前の人に続いていくことで精一杯。高度順化していなかったら4,000m以上のこんな場所で歩き続けられなかっただろうなと思う。ホント歩いているときは突然埋まったりしないでよね・・と実は不安だったんだけど。

このツアーの最後の見せ場はダイナマイドの爆発でして。これは爆発直後のシーン。今までに感じたことのない衝撃がはしってかなりびっくりした。言葉で書くとそうでもなさそうなんだけども。
ポトシ鉱山ツアーはここでのメインでしたが、なんと世界最高所4,070 mという街で初めての結婚記念日を迎えたことも印象的で今ではとてもいい思い出の一つでしょうか。街の中は今ではゆったりとした時間が流れていてスペイン統治時代の面影ばかりというきれいなところ。

もうここまでくるとインディヘナと呼ばれる人々ばかり。ちょっと控えめな人種なのですが、一歩近づいてみると笑顔を作ってくれます。

ポトシの宿情報
La CASONAダブル 65 Bs.(約950円)
シャワー(温水)・トイレ共同。朝食付き。共同で使用可能なキッチンあり。できたばかりのためきれい。ただ部屋はベッドのみでとても簡素。
先週は帰国後初めて世界一周で出会った旅友マサヤさんに会いました。帰国後一緒に世界一周旅行をしたマリさんと入籍され、今では地元岩手にて世界一周の旅の記録を地元の人たちに伝えたり、新しい仕事に活躍されているようで、とても元気をもらいました。
Yoko Hoshino
実際に目にすることで分かることは多かったです。今の自分たちがいかに恵まれた環境で生きているかを日々実感できます。
中南米は今まで触れたことのない文化圏だったこともあり、特に印象的なことばかりだったよ。是非訪れてみてくださいね。